【身も心も豊かに】〜日常生活と、ヨガスートラ一章について考える〜
誰かの役に立ちますように、という気持ちで寄付などをすると、その後、物心ともに、とても豊かになっていることに気が付くことがあります。
周りの人の幸せを願う気持ちによって自分の心に豊かさが与えられている。そして心の面だけでなく目に見える形で豊かさが現れる、ということは、与えようとする気持ちから始まるエネルギーは、回り回って、そして思いもかけていないところから、不思議と確実に、自分まで帰ってきているような気がしてならないのです。
パタンジャリのヨガスートラの読み解きの時間には、幸せになるための考え方や瞑想法についてスートラの言葉とともに紐解いていきます。
一見とても難解な書物に思いますが、幸せや豊かさを感じながら生きるためのヒントが詰まったものです。
その中で、どういった意識で行動することが最終的な幸せに結びつくのか、など考えることもあります。
その行動をひらめく瞬間が、他者と自分のためなのか、それとも、利己的な考えなのかについて日々、分析しながら進むことも大切だとされています。
利己的なだけの感覚から発したものならば、最終的には苦悩をもたらし、他者や自分のためであれば最終的に幸せな仕事や人生に繋がっていきます。(これは、多くの方も経験済みだと思います。)
経営や結婚恋愛などすべてにおいてがそうですが、利己的な思いから本質的な幸せに辿り着くことはないのではないかと思います。
ただ、何が世の中のためで何が利己的なのか分からないとき、それを判別するのがまだ難しいと感じる時は、思いきり利己を追求して、自分の幸せな感覚を追求し、自分の幸せと他者の幸せが完全に一致するところを探していくのが最善の方法です。
子供の頃など若い頃は誰しも、よっぽど出来た人でない限り、自分さえ良ければ、という感覚を持っていたとしても、それがだんだん生きていくにつれて、情けは人のためならず、という感覚、他人の幸せと自分の幸せが同時に起こることや、自分が本当に幸せを感じていれば周りにも幸せが伝わることなどが分かるのだと思います。
だから人はだんだん、利己的な感覚から、どうせ生きるのならば自分と、他者のために、という考えに成長し、辿り着くのかな、と思っています。
また、今もし、頑張って頑張って苦しんでしまっている人がいたら、
自分の幸せなくして周りの人を幸せに出来ないこと、
まずはご自身の健康と幸せを大切に生きてほしいと思います。
自分を犠牲にして、組織のためや家族のため、子供のため、相手のため、そのように思っていたらいつか身体を壊してしまうと思います。誰かのためと思うのならば自発的にこれをしたい、と思える気持ちを大切に。仕方なくご自身を犠牲にしていると感じているなら、今すぐ考え方や状況を再確認した方が、良いかもしれません。
このような内容を、8/15のラジオでお伝えしました♪